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§2 スペクトル解析一般
§§2−1 スペクトル(その1)

問 スペクトルとはなんですか?

0320

答 スペクトルとは時系列データの“別の表現”です.時間軸上の表現が時系列データであり,周波数軸上の表現がスペクトルです.両者の関係は,短時間の領域がスペクトルの周波数の大きな領域に拡大され,長時間部分が小さな領域に縮小され,この2つの表現を突き合わせることにより,観測の対象とした系に関するより詳細な情報を得ることができます.

問 どのようにしてスペクトルを求めるのですか? また,実時系列については唯一完全なスペクトルは求まりますか?

0330

答 一般に観測によって直接得られるのは時系列データです.この時系列データを変換してスペクトルを得ます.ここに,無限小のサンプリング間隔で無限の長さにわたって観測された時系列データがあれば,一意的な変換(フーリエ変換)によってそのスペクトルを直ちにもとめることが理論的に(数学的に厳密に)可能です.完全なスペクトルを求めるには無限の過去から無限の未来にわたって連続的に観測された時系列データがどうしても必要です.
 しかし,現実に私たちが手にするのはあるサンプリング間隔で観測された有限長の時系列データであり,この不完全な情報からスペクトルを求めることが要求されます.このための手続きがFFTであり,ARであり,ARの影響を受けたこれまでのMEMであり,そしてMEMのもつ本来の理論的特長をはじめて計算機上に実現したMemCalcです.
 ここに注意すべきは得られたスペクトルには時系列データが離散的に観測され,有限の長さをもつことによる“誤差”と,それぞれの変換方法の特徴に由来する“誤差”,および両者の相互作用による“誤差”が必ず含まれる事実です.時系列データと解析方法の制約のなかで,最善と考えられるスペクトルを“推定”することが要求されますが,時系列データに対する“唯一の完全な”スペクトルを得ることは原理的に出来ないことを忘れてはなりません.

問 スペクトルの単位はなんですか?

0340

答 観測時刻が秒を単位として記録されているとき,周波数の単位は1/秒=Hz(ヘルツ)となります.また,例えば観測値がmmHgを単位として記録されているとき,スペクトル(正確にはパワースペクトル密度,power spectral density,通常PSDと略して用いられます)の単位はmmHg・mmHg/Hzとなります.従って時系列データとスペクトルを並べてみると,時間軸の単位の逆数が周波数軸の単位になります.また,観測値軸の単位を2乗して周波数軸の単位で割ったものがスペクトルの縦軸の単位となります.

問 ナイキスト周波数とはなんですか?

0350

答 サンプリング間隔をΔtとすると,一般に1/(2Δt)がスペクトルを計算できる周波数の上限となります.この周波数をナイキスト周波数といいます.この物理的意味は以下のようなことにあります.一般に,元のデータの周波数成分を定めるためには,1サイクル当たり少なくとも2回サンプルされることが必要になります.従って,1秒当たり1/Δt 回のサンプリングで定めることのできる最高周波数は1/(2Δt)Hzとなります.

問 スペクトルの振幅表示とは何ですか?

0360

答 通常の方法で求めたスペクトルについて,その平方根を取ったものをスペクトルの振幅表示といいます.その単位は,観測値の単位を周波数軸の単位で割ったものとなります.時系列データにおいて秒単位で観測時刻が,mmHg単位で観測値が記録されているとき,振幅表示したスペクトルの単位はmmHg/Hzとなります.

問 周波数のスペクトルに関してトータルパワーという言葉を聞きます.それはなんですか?

0370

答 周波数0〜∞の周波数帯でスペクトルを積分したものをトータルパワーと言います.その単位は観測値の単位の2乗で,例えば観測値がmmHg単位で記録されていればトータルパワーの単位はmmHg・mmHgとなります.
 観測値は時々刻々とその値を変え,ゆらいでいますが,トータルパワーはこのゆらぎの単位時間あたりのエネルギーです.実際,この関係はスペクトルの最も原義的な定義です.トータルパワー
PT は,x(t)を時刻t における観測値(ただし,平均値からの偏差),P( f )を周波数 におけるスペクトル(PSD)とすると,

       
<x(t)x(t)> =∫P( f )df = PT

として定義されます.ここに<・・・>は時間平均を意味し,積分範囲は0〜∞です.
 実際の計算において,∞の周波数までスペクトルを求めることはできませんが,計算できる全周波数帯のスペクトルの面積を指してトータルパワーと呼んでいます.一般にスペクトルは周波数の増加とともに急速に減衰しますから,このトータルパワーが真のトータルパワーのよい近似となります.

問 同様にスペクトルに関してパワーという言葉を聞きます.それはなんですか?

0380

答 ある周波数帯でスペクトルを積分したものをその周波数帯のパワーといいます.グラフ上ではある周波数帯でのスペクトル下の面積のことで,その単位は観測値軸の単位の2乗となり,これは観測値のゆらぎのエネルギーの単位です.

問 時系列データによっては,その時系列の基本的な変動に対応するスペクトルピークに加えてさまざまな周波数位置にピークが見られます.これらのピークからどのような情報が得られますか.例えば系のカオス状態に関する知見が得られると聞きましたが,どうなのでしょうか?

0390

答 図0390-1に,レスラ−・モデルについて,制御パラメ−タを 2.6から5.7まで変化させて得られた結果を示します(左:時系列,中:トラジェクトリ−,右:PSD)(レスラー・モデルの式については問1320を参照して下さい).(A)c =2.6 →(B)c =3.5 →(C)c =4.1 →(E)c =4.21 →(F)c =4.23の順に分数調和波の発達が見られます.c =2.6では,唯一つの周期解(周期関数解ではない)であることが,トラジェクトリ−に明瞭に示されています.c≧4.3がカオス状態で,c =5.7が最も発達したカオス状態です.
(1)周期倍分岐のカスケ−ド
 
c =2.6の場合のPSDにおいて,周波数 0.17辺りの鋭いピ−クが基本モ−ド( f 1)であり,その2,3,4,5倍の位置に高調波( f 2
f 3f 4f 5)が観測されます.それらの間に見える幅の広いピ−クは最初の分数調波の成長の兆候と考えられます.c =3.5では,その分数調波( f 1/2)とその奇数倍高調波( f 3/2f 5/2f 7/2f 9/2)が,基本モ−ドとその高調波と同じくらいの強度にまで大きく成長しています.このような分数調波が生ずることを,“周期倍分岐”と呼びます.周期倍分岐は,更にc =3.5から 4.1,4.21,4.23と進み,
f 1/16 の分数調波とその高調波までが観測されます.こうした一連の分数調波とその高調波が出現する過程を “周期倍分岐のカスケ−ド”あるいは“順カスケ−ド”と言います.MemCalcは,この周期倍分岐のカスケ−ドで出現するおびただしいスペクトル・ピ−クを,その正当な周波数位置に見出すことができます.この正確さは驚くべきものであると言えます.
(2)逆カスケ−ド
 
c≧4.3になると,それまでに出現したスペクトル・ピ−クが次々に消滅します.この過程は,それまでの秩序性が失われ,単純には理解できない非常に複雑な構造をもたらします.この状況は,特徴的な縞模様のトラジェクトリ−にも現れています.この過程を“逆カスケ−ド過程”と言い,カオスの発達過程に対応しています.
(3)順カスケ−ドと逆カスケ−ドの境界
 
c =4.18〜4.23は,順カスケ−ドと逆カスケ−ドの両方にまたがる境界のある種の“遷移領域”になっています.この領域では,スペクトルの傾き,基本モ−ドの周波数,基本モ−ドのパワ−の全パワ− に対する寄与率に異常な不連続が現れます(図0390-2).これはMemCalcの高い分解能と計算精度によって初めて明らかになった現象です.

図0390-1 レスラ−・モデルの時系列(左),相空間トラジェクトリ−(中),パワースペクトル(右).

図0390-2 “遷移領域”(c=4.18〜4.23)における特異な振る舞い.(a)スペクトルの傾き,(b)基本モードの周波数,(c)基本モードのパワーの全パワーに対する寄与率.

問 スペクトルからその他にどのような情報が得られますか?

0400

答 スペクトルは,離散的成分と連続成分の2つの成分を持ちます.離散的成分の具体的例は,スペクトルピークであり,時系列の周期構造を示します.連続成分は,時系列のゆらぎの性質を示します.このゆらぎの性質は,スペクトルの傾きの有無で2つの場合に分類されます.スペクトルが傾きを持たない場合,即ちゼロの場合は,ゆらぎは白色雑音です.一方,スペクトルに傾きが認められる場合,ゆらぎは何らかの構造を持っていると考えられます.ゆらぎの構造がどのようなものかは,スペクトルの傾きがベキ特性であるのか,または指数特性であるのか,によって測られます.

  

 

表0400 スペクトルから得られる情報.

問 時系列データを周波数解析(スペクトル解析)する目的は,まとめるとどのようなものが考えられますか?

0410

 スペクトル解析の目的は,問0400の表0400の内容を明らかにすることにあります.

問 スペクトルがホワイトであるとはどういうことですか?

0420

 周波数によらずスペクトル(PSD)が一定値をとるスペクトルを特にスペクトルがホワイトである,ホワイトスペクトル,1/f 0スペクトルなどといいます.元の時系列データをホワイトノイズといいます.この時系列データにおいては,ある観測値はそれ以前の時刻に観測された値とまったく相関をもちません.
 時系列データをあらゆる周期をもつ無限個数の波の重畳と考えるとき,それぞれの波が同じ程度のエネルギーをもつ,そんな状態に対応します.

問 べきスペクトルとはなんですか?

0430

答 スペクトルが周波数のべき乗に従って減衰するスペクトルをべきスペクトルといいます.1/f スペクトル,1/f 2スペクトル,1/f 3スペクトルなどはいずれもべきスペクトルです.べきスペクトルはスペクトルを両対数表示するとき,周波数の増大に伴ってスペクトルが直線的に減衰します.f を周波数,P(f )をスペクトル(PSD)とすると,

P(f ) 〜 f x

となります.図0430に,べきスペクトルの形状とそれに対応する自己相関関数を概念的に示します.同図から,傾きx=−n(n は正の整数)のスペクトルでは,周波数が1桁あがるごとにスペクトルはn 桁ずつ減衰することがわかります.

n =0:白色雑音(ホワイトノイズ),
n =1:桃色雑音(ピンクノイズ),
n =2:褐色雑音(ブラウンノイズ),
n =3:赤色雑音(レッドノイズ).

図0430 (a)パワースペクトル密度と(b)自己相関関数の関係(スケールは任意).

 


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